猿ヶ京温泉おススメ観光スポット!たくみの里を紹介します(前編)
どうもみなさまこんばんは^^
さてさて、今日は猿ヶ京温泉の観光案内第4回目ですが、前回、前々回と、どちらかと言うと温泉に入れる施設や宿をメインに紹介して来ましたので、今回は周辺にあるおススメ観光スポットについて紹介していきたいと思います!!
そんなワケで、今回、次回と2部構成で同じみなかみ町にありますたくみの里について紹介しますので、それでは早速よろしくお願いします~(^^♪

たくみの里は群馬県利根郡みなかみ町にある観光スポットです。

猿ヶ京温泉から見ると、国道17号線を沼田方面に少し下って、ちょうど南の方角に位置する観光スポットになるのですが、河岸段丘上の須川平という所に位置しており、国道からは少し距離が離れています。
また、『たくみの里』というのは、何か1つ特定の観光施設のことを指しているワケではなく、この須川平という集落に点在するさまざまな体験施設の総称です。

江戸時代より明治の初め頃にかけては、“須川宿”という名前で三国街道の一宿場町として栄えていたという経緯もありますので、まずはその歴史について紹介していくこととしましょう(^^)v
【三国街道と須川宿のお話】

...とまぁ、こんな感じで明治の初め頃には宿場町としての役割を終えた須川宿ですが、現在では今なお宿場の面影を残す街並みとして、国土交通省より「歴史国道」の選定を受けています。
宿場町のメインストリートであった“宿場通り”にある脇本陣跡には、当時の資料等を展示している「須川宿資料館」といった施設なんかも存在します。
こうした趣きのある宿場の街並みをただ散策してみるだけでも十分に楽しいのですが、今ではさらに『たくみの里』という観光スポットとして生まれ変わり、須川平全体にさまざまな体験を行うことの出来る観光施設が点在しています。
それらの観光施設は、それぞれ“○○の家”というような名前で集落全体に散らばっており、例えばガラスに砂を吹き付けて模様を描く体験が出来るガラスの家や、七宝焼のアクセサリー作り等を体験することが出来る七宝焼の家なんかがあります。
中には、マッチ箱をキャンパスに見立てて、そこに絵付け体験が出来るマッチ絵の家、といったように、ユニークな体験を行うことの出来る観光施設もあったりしますよ(^^♪
また、たくみの里の入口には道の駅があって、売店や直売所があるのはもちろんのこと、道の駅はたくみの里全体の総合案内所を兼ねています。
次回は、この道の駅にある施設を中心に紹介していきたいと思うのですが、どの体験施設に足を運ぶか迷った時は、まずはこちらの道の駅立ち寄ってみると良いでしょう(^^)v
ではでは、次回へ続きます!
≪たくみの里 基本情報≫
所在地:群馬県利根郡みなかみ町須川
営業時間など
各施設により異なる
須川宿資料館
営業時間:9時~17時(※冬季は~16時)
休館日:火曜日
料金 大人200円 小人100円
交通アクセス 【電車】 JR上毛高原駅より関越交通バス「たくみの里」下車徒歩すぐ
【車】 関越道月夜野ICより国道17号線/県道53号線など約12km
直近取材日:2014/12/27
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さてさて、今日は猿ヶ京温泉の観光案内第4回目ですが、前回、前々回と、どちらかと言うと温泉に入れる施設や宿をメインに紹介して来ましたので、今回は周辺にあるおススメ観光スポットについて紹介していきたいと思います!!
そんなワケで、今回、次回と2部構成で同じみなかみ町にありますたくみの里について紹介しますので、それでは早速よろしくお願いします~(^^♪

たくみの里は群馬県利根郡みなかみ町にある観光スポットです。

猿ヶ京温泉から見ると、国道17号線を沼田方面に少し下って、ちょうど南の方角に位置する観光スポットになるのですが、河岸段丘上の須川平という所に位置しており、国道からは少し距離が離れています。
また、『たくみの里』というのは、何か1つ特定の観光施設のことを指しているワケではなく、この須川平という集落に点在するさまざまな体験施設の総称です。

江戸時代より明治の初め頃にかけては、“須川宿”という名前で三国街道の一宿場町として栄えていたという経緯もありますので、まずはその歴史について紹介していくこととしましょう(^^)v
【三国街道と須川宿のお話】
三国街道は江戸時代に整備された街道です。
中山道の高崎宿より分かれ、北陸街道の寺泊宿へと至る街道として、越後国諸藩の参勤交代のみならず遠く佐渡からの“金”を運ぶ道としても利用されたと言われています。
また、その以前より上越国境である三国峠は主要な交通路として用いられて来ました。
関東出兵の際には、猿ヶ京温泉を紹介した時にも登場した上杉謙信がこの三国峠を越えてやって来たとも言われています。
そんな三国街道の一宿場町として栄えた須川宿ですが、1686年(貞享3年)の頃には、宿場全体で49の戸数があったことが確認されています。
時代は下って1876年(明治9年)の時点では、宿全体の54戸のうち、半数に上る28戸において屋号が確認され、それぞれかじや、桶や、くるまや、いかけやなどの職業を営んでいたことが記録されています。
しかしながら、1874年(明治7年)に三国街道が現在の国道17号線のルート、赤谷川沿いに新たな道が開削され、整備されるようになると、人々の往来はめっきりと減少し、宿場の中心は、相俣宿から湯宿、布施宿へと移って行くようになりました...
中山道の高崎宿より分かれ、北陸街道の寺泊宿へと至る街道として、越後国諸藩の参勤交代のみならず遠く佐渡からの“金”を運ぶ道としても利用されたと言われています。
また、その以前より上越国境である三国峠は主要な交通路として用いられて来ました。
関東出兵の際には、猿ヶ京温泉を紹介した時にも登場した上杉謙信がこの三国峠を越えてやって来たとも言われています。
そんな三国街道の一宿場町として栄えた須川宿ですが、1686年(貞享3年)の頃には、宿場全体で49の戸数があったことが確認されています。
時代は下って1876年(明治9年)の時点では、宿全体の54戸のうち、半数に上る28戸において屋号が確認され、それぞれかじや、桶や、くるまや、いかけやなどの職業を営んでいたことが記録されています。
しかしながら、1874年(明治7年)に三国街道が現在の国道17号線のルート、赤谷川沿いに新たな道が開削され、整備されるようになると、人々の往来はめっきりと減少し、宿場の中心は、相俣宿から湯宿、布施宿へと移って行くようになりました...

...とまぁ、こんな感じで明治の初め頃には宿場町としての役割を終えた須川宿ですが、現在では今なお宿場の面影を残す街並みとして、国土交通省より「歴史国道」の選定を受けています。
宿場町のメインストリートであった“宿場通り”にある脇本陣跡には、当時の資料等を展示している「須川宿資料館」といった施設なんかも存在します。
こうした趣きのある宿場の街並みをただ散策してみるだけでも十分に楽しいのですが、今ではさらに『たくみの里』という観光スポットとして生まれ変わり、須川平全体にさまざまな体験を行うことの出来る観光施設が点在しています。
それらの観光施設は、それぞれ“○○の家”というような名前で集落全体に散らばっており、例えばガラスに砂を吹き付けて模様を描く体験が出来るガラスの家や、七宝焼のアクセサリー作り等を体験することが出来る七宝焼の家なんかがあります。
中には、マッチ箱をキャンパスに見立てて、そこに絵付け体験が出来るマッチ絵の家、といったように、ユニークな体験を行うことの出来る観光施設もあったりしますよ(^^♪
また、たくみの里の入口には道の駅があって、売店や直売所があるのはもちろんのこと、道の駅はたくみの里全体の総合案内所を兼ねています。
次回は、この道の駅にある施設を中心に紹介していきたいと思うのですが、どの体験施設に足を運ぶか迷った時は、まずはこちらの道の駅立ち寄ってみると良いでしょう(^^)v
ではでは、次回へ続きます!
≪たくみの里 基本情報≫
所在地:群馬県利根郡みなかみ町須川
営業時間など
各施設により異なる
須川宿資料館
営業時間:9時~17時(※冬季は~16時)
休館日:火曜日
料金 大人200円 小人100円
交通アクセス 【電車】 JR上毛高原駅より関越交通バス「たくみの里」下車徒歩すぐ
【車】 関越道月夜野ICより国道17号線/県道53号線など約12km
直近取材日:2014/12/27
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