懐古園『三の門』とともに国の重要文化財に指定!小諸城大手門を紹介します
どうもみなさまこんばんは^^
さてさて、ここ最近はしばらく小諸の街中にある観光スポットの紹介を続けていますが、また本日も小諸市内にある観光スポットの紹介となります。
(今回が最後となりますので、どうかみなさま、もう少しだけお付き合いください…(^^;)
今回も前回同様、線路を挟んで懐古園の反対側に位置する観光スポットから小諸城「大手門」について紹介していきたいと思いますので、よろしくお願いしますm(_ _)m

小諸城「大手門」は、小諸市大手にある史跡です。
前回も登場した懐古園≪歴史編≫の中でも紹介した通り、『三の門』と共に国の重要文化財にも指定されている貴重な小諸城時代の遺構になりますが、例によってまずはその由緒から(^^
>>日本100名城にも選ばれている小諸城址!懐古園を紹介します(歴史編)
~小諸城「大手門」由緒~
小諸城「大手門」は、江戸時代初期の慶長17年(1612年)に建設された門になります。
懐古園の『三の門』同様、今日に残る小諸城の礎を築いたとされる初代小諸藩藩主・仙石秀久の時代に建設されたものです。
江戸から大工を呼び、当時まだ珍しかった瓦葺の屋根を採用した為、「瓦門」とも呼ばれていたと言われています。
明治維新以後は、小諸城自体が小諸藩としての役目を終えるとともに、こちらの小諸城「大手門」も民間に売り払われてしまいました。
一時は、以前にも説明した通り、島崎藤村が教鞭を執った小諸義塾の仮教室として使用されたこともあったそうですが、近年までは料亭として活用されてきました。
平成3年(1991年)に大手門が小諸市に寄贈されると、平成16年(2004年)より約3年の年月をかけて小諸城「大手門」の保存修理事業が行われ、平成20年(2008年)には、江戸時代の創建当時の姿に甦りました...

とりあえず小諸城「大手門」の由緒や歴史についてはこんな感じですが、現在では、以前に紹介した停車場ガーデンなどと併せて、大手門公園の一角として整備されています。
また、一般に懐古園=小諸城と思われがちですが、小諸城の敷地は現在の懐古園の敷地よりも広く、明治21年(1888年)に当時の信越本線(=現在のしなの鉄道)のレールが敷設された為、もとの小諸城の敷地は東西に分断されてしまいました。
その為、結果的に今は小諸城「大手門」だけが懐古園と離れて、線路の反対側にポツンと取り残されたような格好となっています。

...現在は休館中ですが、大手門公園の敷地には、「小諸市くらしかる浪漫館」の建物なんかも見ることが出来ますよ(^^)v
そんな小諸城「大手門」がある大手門公園は、懐古園入口から線路を跨ぐ地下道を潜れば歩いてすぐのトコロにあります。
公園の一部として整備されている小諸城「大手門」は、もちろん見学も自由に出来ますので、前回までに紹介した停車場ガーデンや小諸宿本陣主屋、そして旧小諸本陣などとセットで観光するのがやはりおススメですね(^^♪
≪小諸城「大手門」 基本情報≫
所在地:長野県小諸市大手1-5-4
交通アクセス 【電車】 JR・しなの鉄道小諸駅より徒歩約5分
【車】 上信越道小諸ICより県道79号線/国道141号線など約3km
直近取材日:2015/4/18
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小諸城「大手門」は、小諸市大手にある史跡です。
前回も登場した懐古園≪歴史編≫の中でも紹介した通り、『三の門』と共に国の重要文化財にも指定されている貴重な小諸城時代の遺構になりますが、例によってまずはその由緒から(^^
>>日本100名城にも選ばれている小諸城址!懐古園を紹介します(歴史編)
~小諸城「大手門」由緒~
小諸城「大手門」は、江戸時代初期の慶長17年(1612年)に建設された門になります。
懐古園の『三の門』同様、今日に残る小諸城の礎を築いたとされる初代小諸藩藩主・仙石秀久の時代に建設されたものです。
江戸から大工を呼び、当時まだ珍しかった瓦葺の屋根を採用した為、「瓦門」とも呼ばれていたと言われています。
明治維新以後は、小諸城自体が小諸藩としての役目を終えるとともに、こちらの小諸城「大手門」も民間に売り払われてしまいました。
一時は、以前にも説明した通り、島崎藤村が教鞭を執った小諸義塾の仮教室として使用されたこともあったそうですが、近年までは料亭として活用されてきました。
平成3年(1991年)に大手門が小諸市に寄贈されると、平成16年(2004年)より約3年の年月をかけて小諸城「大手門」の保存修理事業が行われ、平成20年(2008年)には、江戸時代の創建当時の姿に甦りました...

とりあえず小諸城「大手門」の由緒や歴史についてはこんな感じですが、現在では、以前に紹介した停車場ガーデンなどと併せて、大手門公園の一角として整備されています。
また、一般に懐古園=小諸城と思われがちですが、小諸城の敷地は現在の懐古園の敷地よりも広く、明治21年(1888年)に当時の信越本線(=現在のしなの鉄道)のレールが敷設された為、もとの小諸城の敷地は東西に分断されてしまいました。
その為、結果的に今は小諸城「大手門」だけが懐古園と離れて、線路の反対側にポツンと取り残されたような格好となっています。

...現在は休館中ですが、大手門公園の敷地には、「小諸市くらしかる浪漫館」の建物なんかも見ることが出来ますよ(^^)v
そんな小諸城「大手門」がある大手門公園は、懐古園入口から線路を跨ぐ地下道を潜れば歩いてすぐのトコロにあります。
公園の一部として整備されている小諸城「大手門」は、もちろん見学も自由に出来ますので、前回までに紹介した停車場ガーデンや小諸宿本陣主屋、そして旧小諸本陣などとセットで観光するのがやはりおススメですね(^^♪
≪小諸城「大手門」 基本情報≫
所在地:長野県小諸市大手1-5-4
交通アクセス 【電車】 JR・しなの鉄道小諸駅より徒歩約5分
【車】 上信越道小諸ICより県道79号線/国道141号線など約3km
直近取材日:2015/4/18
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